同1991尼崎の約一ヶ月後に開催されたミスター大阪大会にもライトヘビー級でエントリーしました。当時は現在のようにオーバーオールとクラス別が分かれておらず、同時開催だったのですが、当然予選など通過出来ず、ライトヘビー級で5位でした。ただ自分にとっての励みは舞台袖で杉田会長に「よかったよ!」と声をかけてもらった事でした。こういったささいな事がビギナーにとっては大事なんだなと今は出来るだけ声をかけるようにしています。
  体重76.5キロでエントリー
   
 
 



 
 


1993年のミスター大阪には一年空けて出場しました、当時はまだバルクアップのために一年空けるなどという事をやっておりましたが、後になんの効果もなくむしろせっかく経験できる一年を無駄に過ごしてしまったと悟りました。このころはボディビルダーの自覚も希薄で減量も苦しいものでありコンテストの
ためにコンディションを調整するのが大変でした。結果は初めてオーバーオールで決勝に残り7位でした。
   体重77キロでエントリー
 



 
 
 
 
 
 



1996年いつもと同じ気持ちでかるーくコンテストに出場したらなんと本人もビックリの2位でした。体重も78.5キロと少しは増えましたがこの2位の時をきっかけにボディビルについて真剣に考えるようになりました、自分に必要なものは何かとかフィギュア競技とは何かとか、トレーニングもすべて見直しましたそして翌年に備えたのです。

 
     
       
BACK      NEXT
 
 

Copyright(C) 2004 HARIDY All Rights Reserved